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ベレー帽の風景

少年の成長記、或いはその断絶記

『FGO』は効率を追求して遊ぶゲームではない?

今回は『Fate/Grand Order』(以下、FGO)というソーシャルゲームについて書きたいと思います。

私はリリース当初からこのゲームをインストールしており、途中ログインが途切れた時期もありましたが約一年半プレイし、現在まで続けて来た身です。

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そんな私ですが、最近このゲーム史上最も呆れたことがありました。

それが、FGOのディレクターを務めていらっしゃる塩川氏のインタビュー記事です。

https://twitter.com/dengekionline/status/846628901317066753

 

どうやらこの記事に関して私以外にも疑問を抱いた人はいるようで、ネット上ではプチ炎上しています。

そんななか私が不満を抱いたのはどの点かと言うと、記事の後半に書かれた塩川氏の読者質問に回答するコーナー、その回答の5番目にあたる、「宝具スキップ」の件です。

『FGO』では、戦闘において「宝具」というコマンドが存在します。これは所謂「必殺技」のようなもので、NPというゲージを100%以上溜めることで使用可能になります。ただしこの「宝具」は、(必殺技に似た位置付けなので当然と言えば当然ですが)演出が派手で、長いです。

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もちろんそれが魅力なのは分かります。しかし、必ずしもその演出がメリットになりうるとは言えないのではないでしょうか。

このゲームを真面目に進めようとすれば同じクエストを複数回行う場面に必ず出くわします。そういった場面で同じ宝具演出を何度も見るのは単純に「飽き」が回ってきますし、「効率的」ではありません。時間の無駄遣いとも言えるでしょう。

しかし今回のインタビューで、塩川氏はその宝具を「スキップ」するという、ユーザーから求められていた機能の実装を「優先しない」とするとともに、「根本的に『FGO』は効率を追求して遊ぶゲームではないんです。」と発言をしています。

なるほど確かに根本的にはそうなのでしょう。が、このゲームで「根本」という言葉に該当する場面はあまりに少なすぎるのではないでしょうか。

例えばそれは、メインストーリーの重要なクエストを突破する場面。

例えばそれは、お気に入りのキャラで高難易度のクエストを突破する場面。 

これらはプレイヤーにとって大切で、このゲームの根幹を成すに値するものでしょう。そういった場面で宝具演出を逃さず見せたい、という考えには頷けます。

しかし、この『FGO』というゲームでは、そのようなクエストよりも圧倒的に、宝具演出の要らない、「時間が許す限り何度でも挑戦出来る」クエストを行う回数が多いです。

それらのクエストは基本的に「キャラの育成」のためのものです。長くなるため詳しくは書けませんが、このゲームではキャラを育てるに当たって、キャラに合成するための経験値である「種火」や、レベル上限を上げたりスキルレベルを上げるための「アイテム」、それら全てに必要となるゲーム内の資材である「QP」などが必要不可欠です。

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恒常のクエストでそれらを集めることも可能になってはいますが、期間限定で開催される「イベント」ではより集めやすくなっています。

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ただ、どちらにせよキャラを育てるためにはクエストを「複数回行う」ことが必要となります。即ち、これらのクエストは「作業」になりがちなのです。

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であれば、プレイヤーはそのクエストを「効率的にこなしたい」と考えるのが普通でしょう。

しかし、そういったプレイヤーの考えに対し、今回の塩川氏の発言は「『FGO』は根本的に効率を追求すべきでないんだから、『FGO』のどのクエストでも効率を追求すべきでない」と回答しているようなものなのです。この「だから」が「=」になりうると思っているのです。

この発言はプレイヤーの時間を軽視しているとともに、今までに効率を重視して『FGO』を進めてきたプレイヤーに対し「システムを誤解している」と言っているようにも取れるものでしょう。

少し捻くれすぎた考えかも知れませんが、事実私はそう思わざるを得ませんでした。

これが、私が塩川氏の発言に対し不満を抱いた経緯です。

今まで一年半続けていたゲームの進め方を、「間違ってるよ」と他でもないゲームの運営側から言われたようで、心底呆れてしまいました。

 

私の意見とすれば、「複数回挑戦出来るクエストにおいては、一回クリア後二周目以降は宝具のスキップを可能にする」機能があればいいと思うのですが、一プレイヤー目線のその意見がこのゲームにおいて適切であるとは言い切れませんし、反論を寄せられる可能性もあるのでしょう。

ですが、これだけは言えます。

 

「宝具スキップ」を実装する・しないに関わらず、「『FGO』のどのクエストでも効率を重視するべきでない」と取れる回答をしたことがおかしい。

ユーザーから時間を奪うことに、宝具演出を何度も見せることに、ユーザーの思いを裏切るような回答をしたことがおかしい。

 

それが私が呆れ、指摘したいと思った点です。

そこに「届けたい意味」 などという思わせぶりな言葉を被せられても、一プレイヤーである私としては納得が出来ません。

そういった納得の出来ないプレイヤーは切り捨てる、という考えならば、それはあまりに顧客を厳選しすぎなのではないでしょうか。そうだとしたのならば心底呆れんばかりです。

このブログで私は塩川氏に何を求めるわけでもありません。しかし、筋の通っていない回答をユーザーに押し付けるような人が運営しているゲームを、私はもう心から楽しむことが出来ないでしょう。

このゲームのストーリーや、戦闘の仕様を好いていただけに、非常に残念に思います。

 

最後になりますが、いくら根幹に効率を持ち込むべきでないゲームでも、キャラの育成要素があれば効率化の問題は付きまといます。

「そこに手間や時間を消費することが重要だ」とどれだけ言い張ろうが、効率化を図った方が数字の面で愛を注いでいるように見えるものです。

であれば、根幹と食い違っているようでもその問題とは寄り添うべきであり、手間は必要でも時間の面では短縮できる機能の実装を「優先しない」とするべきではないのだと、私は考えます。

 

長くなりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました☺️

 

 

浮気だけは許せません。ベレーぼうです。

結婚はしていないとしても、恋人という関係でいる以上浮気はよくないと思います。。

相手の気持ちを踏みにじるような行為は絶対にしたくないし、相手がしていたとしたら許せない。。

断じて言います、浮気だけは許せません。

 

 

 

 

 

 

 

 

でもやっぱ浮気されたとしてそれを暴露する奴も人としてアレやしお似合いってことで浮気はあってもいいんじゃないですかね笑

 

先日の続き

投稿したSSについてです。

今回は人生初のSS投稿だったのですが、現時点でも何人かの方々に「すき!」を押して頂いており、嬉しい限りです。

そんなこともあり、SSに対して補足を書かせて頂ければなと思います。

今回のSSは、あくまで2期OPの映像に映っていた景色からインスピレーションを起こした形です。

「そこ(本編)に素材があった」からという理由で、アニメや原作に出来るだけ寄り添う形で書きました。本来二次創作で全面に押し出すべきなのかもしれない「自分らしさ」も極力切り捨てたつもりです。

 

さて、私は吹奏楽の経験もなければ、久美子や麗奈と性別も異なります。彼女たちとは、生きている世界が違うのです。なので私は本来、彼女らの生きる日常を繊細に描くには値しません。

それでも書いてしまったということは、そこになにかミスが生じている可能性が極めて高い。

たとえば久美子が楽器を持ち帰るときに入れた部活で使うケースはおそらく担げるものではないのですが、大吉山ではアニメ1期8話のように当然担いで運ぶイメージになっています。

さらに、通常滝先生が私用で部活に休みを入れることはありません。一応裏設定では奥さんとの結婚記念日ということにしていますが、本編では奥さんの命日ですら「学校が休みになったから花を買いに行った」という捉え方もでき、本来なら部活をしていた可能性も拭い切れず裏付けが足りていません。

このSSの目的は久美子と麗奈のやり取りを描くためなので、前述した部分が雑なのはそこに尺を使いたくないという意識の現れです。原作小説やアニメには申し訳が立ちません。

そして一番懸念すべきは、久美子と麗奈のやり取りに不備があることです。ここには細心の注意を払ったつもりですが、人によっては受け入れ難い部分もあったかもしれず、不安に駆られます。

ともあれ、本編に寄り添いつつも、どこかで「SSだから許される」という考えを持ち作り上げてしまったものは、私がそう自覚している以上私の中ですら「完全な本編」にはなり得ません。これはSSなので言葉にすれば当然ですが。

そのため、昨日の記事にも書いたようにこれは「if」に過ぎないのです。

 

しかし、確かにその「if」を評価してくれる人がいる。それだけで私も、これを書いた価値や意味があるのだなと思えました。

なので、ここからはその「if」の解説をさせていただければと思います。

 

まず私は、このSSで「百合」を描こうとしたのではありません。

そもそも、本来久美子と麗奈の関係を、私は単なる百合ではないと解釈しています。

では、久美子と麗奈を介して何を描きたかったのかと言うと、それはまさしく「響き」に他ならない。

そもそも私が『響け!ユーフォニアム』という作品を愛しているのは、この「響き」の表現が素晴らしいからなのです。

その表現とは、ただ音が響くという意味ではありません。登場人物の心、或いは魂が「響き合う」という事なのです。そこに楽器の響きを用いていることで、音楽が感情の暗喩になるとともに、この作品は芸術性を増しています。

そして私が思うに、その「響き合う」ことの尊さは、何物にも代えがたい。天秤に乗せた瞬間に、その秤が壊れてしまうほどに。それは「百合」などと使い古された表現では、とても形容し切れない素晴らしさを持っているのです。

だから、私はこの「if」で、私なりの表現をしたかった。私なりに、久美子と麗奈のなにかが響き合う様を、描きたかった。

それを評価してくださるということは、何度も言いますが本当に嬉しい限りです。ありがとうございます。

結果私は、切り捨てるつもりの「自分らしさ」を無自覚に絞り出していたのかもしれません。自分が感じた素晴らしさを自分の言葉で表現し、それを認めて貰いたかった。

それが少しでも実現したことが本当に嬉しくて、うち明かしたくて、私は今ここに駄文を連ねています。

それを読んでくださったあなたにも、感謝の念を申し上げざるを得ません。 

ありがとうございました。

 

最後に、知識無しになにかの縁でこのブログを読んでいる方には、是非とも『響け!ユーフォニアム』という作品に触れて、私のSSを読んでいただければなと思います^^

 

終わり^^

SSを書きました

本日二度目の投稿。

自らの不注意でユーフォのイベントに行きそびれた男が、ユーフォのSSを書きました。

 

http://touch.pixiv.net/novel/show.php?id=7887036

 

文体は基本原作リスペクトですが、登場人物の口調は標準語とし、設定自体も原作とアニメをごっちゃにしています。

この二次創作はいわゆるifで、作品で実在した可能性の少ないものだとお考え下さい。

一応、二期OPに映る、原作やアニメ本編では語られなかった夕暮れ時の大吉山の二人をモチーフにしています。

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細心の注意を払ってはいますが、至らない点があればお申し付け下さい。

 

今日はもう疲れたので、付け加えることがあれば後日投稿します。

このSSを読んで、楽しんでいただければ幸いです。

本当に申し訳ありませんでした。

久しぶりの更新ですが、これは謝罪文です。

何に対してかと言うと、響け!ユーフォニアム2のイベントに当選していたのにも関わらず、チケットの払い込みをしなかったことです。

忘れていた、というのが真実です。ですが、心の片隅にイベントがあるという意識があったのにも関わらず、応募したのにも関わらず、払い込みをしなかった。

要するに、きっとどこかで「後回し」にしていたのです。軽視していたのです。

これは到底許されることではなく、当選が取り消しになるのは全くもって当然です。また、再度応募する資格すらも、今の私には無いのだと思います。

今回の件では、大切な趣味にすらも真摯に向き合えない自分に深く憤りを覚えるとともに、スタッフの皆様へは大変に迷惑をかけたことを誠に申し訳ないと思っております。

自分を病気なのではないかと疑いもしています。人間誰でも失敗はある、とは言いますが、このようなことがあるようでは脳に障害があると考えてもなんらおかしくはないでしょう。

けれど、ただ許してほしい。社会の癌でしかないような私が、この素晴らしいコンテンツに関わり、このような失態を犯してしまったことを。なにより、これからもこのコンテンツを好きでいることを。

イベントチケットの払い込みを忘れる程度の「好き」でしかなかったのは認めざるを得ませんし、大いに反省しております。しかしながら、私は本来の作品が「好き」なことに変わりはなく、例え脳に障害を患っていようとも、応募した日から今日まで、この作品のことを思い出さなかった日は一日たりともありません。それだけは何に誓ってでも言えます。

 

最後になりますが、重ねてお詫び申し上げます。

響け!ユーフォニアム』という素晴らしい作品を作り上げて下さった関係者の皆様、チケット販売を行って下さったポニーキャニオンのスタッフの皆様、この度は私自身の注意力の無さによりチケットの払い込みをしなかった、という失態をお許しください。

今後、この作品に触れることをお許しください。

 

本当に、申し訳ございませんでした。

 

北宇治高校吹奏楽部へようこそ

私はべつに吹奏楽を嗜んだことはないし、音楽記号はろくに覚えられず楽器もろくに吹けずで、音楽の授業はあまりいい成績を取ったことがありませんでした。

もともと得意ではないし当時人との関わりを避けていたので、高校の選択科目では音楽は取りませんでした。人とのコミュニケーションも要らなさそうという理由で、さして上手くもない書道を取っていました。

だから私の人生は吹奏楽とは無縁で、強いて言えば私の妹が部活でやっているという程度の認識しかありませんでした。

この作品の素晴らしさに気づくまでは。

 

響け!ユーフォニアム

 

私がこの作品に初めて触れたのは高校三年生の春、アニメとして映像化したのを観たことでした。いくら人と関わらないと言っても、流石に三年にもなれば多少話せる人はある程度いました。そこで、趣味の話をしていたとき、たまたまこのアニメの話題になり、そこで知ることになりました。

吹奏楽には興味のなかった私ですが、しかし話し相手のクラスメイトは、この作品を「百合」と表現していました。

ここでの「百合」とは当然花の名前のことではなく、端的に言えば同性愛、それも女の子同士のものを指します。その定義は曖昧ですが、異性間の恋愛を同性に置き換えたという解釈でいいでしょう。

私は男女の恋愛よりもそういったものを好んで観ていたので、そう勧められれば観ずにはいられませんでした。そして、私は普段ニコニコ動画などのネットでしかアニメを観ないのですが、話数を重ねるごとに興味を惹かれ、1クールが終わる頃にはリアルタイムで視聴するようになっていたほどです。本格的にハマった(素晴らしさに気づいた)のはアニメの2期からですが。

この作品はなにが面白いかと言えば、思ったより「ドロドロしている」こと。作品のテーマ的にも可愛らしい絵柄的にも、最初に抱いたイメージは、ただ女の子が吹奏楽を本気でやるという、ある種「スポ根系の青春ドラマ」といったイメージでした。

しかしどうやらただそれだけではないらしいと、観ているうちに私はそう気づき始めます。あまりにも精密に人間関係を描いたこの作品は、確かにスポ根系青春ドラマでありつつも、どこまでもリアルなのです。

現実でよく「女は怖い」などと耳にしますが、この作品ではその怖さすらも恐らく表現されている。登場人物はキャラが尖っていれどもそう悪い人間はいません。しかしだからこそそういった得体の知れぬ「怖さ」が引き立つのかもしれません。

ですが、それだけではべつに私がこの作品を評価するには至らなかったでしょう。私がこの『響け!ユーフォニアム』を一番好きな作品だと言うのには、さらに理由があるのです。

響け!ユーフォニアム』の原作は、宝島社文庫から出版されている小説です。その作者である武田綾乃さんは京都府宇治市出身だそうで、この作品の舞台は他ならぬその宇治市だったりします。作者の出身地であるがゆえに場所の描写は繊細に描かれており、アニメでは制作会社である京都アニメーションの背景美術の美しさも相まって、素晴らしくリアルに表現されています。

そんな環境のなかで表現される、人と人との関係性。それはとても形容し難く、芸術として私の目に映ります。これこそが「本物の理想」なのだと。部活間の面倒なしがらみの中にあるからこそ、それはリアルであり美しい。

そこまでリアルを追求するのなら、アニメではなく実写でやればいいという意見もあるかもしれません。しかし、私はこれには反対ですら、この作品においては現実世界を作り物とするよりも、平面の上でこの世界観を表現することにこそ意味があるからです。

より完全に近い形でこれは「理想」であるべきなのです。言ってしまえば、本当の現実であってはならない。そこに明確な線引きは必要で、それでいてリアルさを追求することで、それは本物の理想として機能するのだと思います。

自分で書いていて、この文章では未視聴の方に伝わるものは無いなと思うので、是非このブログでの『響け!ユーフォニアム』に関する記事は視聴済みの人に読んで欲しいなと思います。

次回からはもう少し踏み込んで、この作品の素晴らしさ…キャラ間の関係についてなどを語って行きたいです。

 

ここまで読んでいれば察したと思うが要するにこれはキモオタのブログだ、残念だったな!

ここで言う素晴らしさなど、往々にして尖りすぎた感受性によって創り出される理論的に説明できないものに過ぎない。

けれど私は、その素晴らしさを信じている。

是非このブログでこの作品がいかに芸術なのかを説明させてほしいです。

 

読んでくださりありがとうございました。わけのわからない点が多すぎるかと思いますが、次回以降で少しずつ私の言葉の意味を理解して貰えるよう努力して文を連ねます。

 

また本の紹介です

「イヤホンを無くした云々のやつからずっと投稿してねえなこいつ」なんて身内には思われてそうですが、少しずつ精神状態を回復させて、やっとなにか書けそうかなという所まで落ち着きました

その間に私は何をしていたかというと、前に紹介した『君の膵臓をたべたい』の作者、住野よるさんの二作目である『また、同じ夢を見ていた』を読んでいました

言い忘れていたと思うのですが、住野さんは膵臓がデビュー作だったそうで、つまり今二作目を読了した私は順を追って読んでいることになります。三月には今までのとは出版社の違う、新潮社から新作が出版されるようで、そちらも楽しみですね

 

さて、『また、同じ夢を見ていた』の感想ですが・・・

私はこれを読んでとてもとても気づかされることが多かったです。膵臓のときもそうでしたが、こちらでもなにか大事なものに気づかされ、恥ずかしながら涙を流しました

この作品のテーマを挙げるとすれば、私は「幸福」とするでしょう。幸福論と言ってもいいかもしれません

この本の主人公は小学生なので、読んでいるうちに読み手である自分とはやはりどこか違うことに気づくでしょう。でも、どこか違うのだけれど、しかしこの主人公はかしこくって正しい・・・。だから、主人公には感情移入してしまうし、私は(あくまで小説の中の、ではあるけれど)小学生でも立てるラインで立ち止まっていたことに、気づかされた。

幸せの話をするのって、どこか気恥ずかしいし、そうそう出来ないものだと思います。けれど、誰もがどこかで「自分は今、幸せなのか」と疑問に思っているのではないでしょうか

それに答えられる人もいれば、答えられない人、中には答えたくない人もいるかもしれません

幸せとはなんなのか。その答えは人それぞれだと思いますが、あなたにとってこの一冊は必ずその答えを見つけ出すヒントになると、私は思います。是非、読んでみてはいかがでしょうか

 

住野さんの三作目である『よるのばけもの』も、新作が出る前に読んでおきたいなと思っています

 

最後に、次回以降の更新について。

知名度もないブログで読んだ本の紹介ばかりしてもアレなので、もっと利己的に次回こそは自分の一番好きな作品の話を・・・と考えています

ただ、この作品のこととなると自分の持てる全ての語彙力表現力を使って紹介せねばならないので、ぶっちゃけ書くまでに相当の心構えが必要だったりします

更新が滞っていたのも、実を言えばそれについての話をしたいと思いつつ、なかなか知恵と力が働かなかったからなのです

けれどまあ次回こそは書けるようにしたいと思いますので、楽しみにしてくれれば嬉しいです