ベレー帽の風景

少年の成長記、或いはその断絶記

北宇治高校吹奏楽部へようこそ

私はべつに吹奏楽を嗜んだことはないし、音楽記号はろくに覚えられず楽器もろくに吹けずで、音楽の授業はあまりいい成績を取ったことがありませんでした。

もともと得意ではないし当時人との関わりを避けていたので、高校の選択科目では音楽は取りませんでした。人とのコミュニケーションも要らなさそうという理由で、さして上手くもない書道を取っていました。

だから私の人生は吹奏楽とは無縁で、強いて言えば私の妹が部活でやっているという程度の認識しかありませんでした。

この作品の素晴らしさに気づくまでは。

 

響け!ユーフォニアム

 

私がこの作品に初めて触れたのは高校三年生の春、アニメとして映像化したのを観たことでした。いくら人と関わらないと言っても、流石に三年にもなれば多少話せる人はある程度いました。そこで、趣味の話をしていたとき、たまたまこのアニメの話題になり、そこで知ることになりました。

吹奏楽には興味のなかった私ですが、しかし話し相手のクラスメイトは、この作品を「百合」と表現していました。

ここでの「百合」とは当然花の名前のことではなく、端的に言えば同性愛、それも女の子同士のものを指します。その定義は曖昧ですが、異性間の恋愛を同性に置き換えたという解釈でいいでしょう。

私は男女の恋愛よりもそういったものを好んで観ていたので、そう勧められれば観ずにはいられませんでした。そして、私は普段ニコニコ動画などのネットでしかアニメを観ないのですが、話数を重ねるごとに興味を惹かれ、1クールが終わる頃にはリアルタイムで視聴するようになっていたほどです。本格的にハマった(素晴らしさに気づいた)のはアニメの2期からですが。

この作品はなにが面白いかと言えば、思ったより「ドロドロしている」こと。作品のテーマ的にも可愛らしい絵柄的にも、最初に抱いたイメージは、ただ女の子が吹奏楽を本気でやるという、ある種「スポ根系の青春ドラマ」といったイメージでした。

しかしどうやらただそれだけではないらしいと、観ているうちに私はそう気づき始めます。あまりにも精密に人間関係を描いたこの作品は、確かにスポ根系青春ドラマでありつつも、どこまでもリアルなのです。

現実でよく「女は怖い」などと耳にしますが、この作品ではその怖さすらも恐らく表現されている。登場人物はキャラが尖っていれどもそう悪い人間はいません。しかしだからこそそういった得体の知れぬ「怖さ」が引き立つのかもしれません。

ですが、それだけではべつに私がこの作品を評価するには至らなかったでしょう。私がこの『響け!ユーフォニアム』を一番好きな作品だと言うのには、さらに理由があるのです。

響け!ユーフォニアム』の原作は、宝島社文庫から出版されている小説です。その作者である武田綾乃さんは京都府宇治市出身だそうで、この作品の舞台は他ならぬその宇治市だったりします。作者の出身地であるがゆえに場所の描写は繊細に描かれており、アニメでは制作会社である京都アニメーションの背景美術の美しさも相まって、素晴らしくリアルに表現されています。

そんな環境のなかで表現される、人と人との関係性。それはとても形容し難く、芸術として私の目に映ります。これこそが「本物の理想」なのだと。部活間の面倒なしがらみの中にあるからこそ、それはリアルであり美しい。

そこまでリアルを追求するのなら、アニメではなく実写でやればいいという意見もあるかもしれません。しかし、私はこれには反対ですら、この作品においては現実世界を作り物とするよりも、平面の上でこの世界観を表現することにこそ意味があるからです。

より完全に近い形でこれは「理想」であるべきなのです。言ってしまえば、本当の現実であってはならない。そこに明確な線引きは必要で、それでいてリアルさを追求することで、それは本物の理想として機能するのだと思います。

自分で書いていて、この文章では未視聴の方に伝わるものは無いなと思うので、是非このブログでの『響け!ユーフォニアム』に関する記事は視聴済みの人に読んで欲しいなと思います。

次回からはもう少し踏み込んで、この作品の素晴らしさ…キャラ間の関係についてなどを語って行きたいです。

 

ここまで読んでいれば察したと思うが要するにこれはキモオタのブログだ、残念だったな!

ここで言う素晴らしさなど、往々にして尖りすぎた感受性によって創り出される理論的に説明できないものに過ぎない。

けれど私は、その素晴らしさを信じている。

是非このブログでこの作品がいかに芸術なのかを説明させてほしいです。

 

読んでくださりありがとうございました。わけのわからない点が多すぎるかと思いますが、次回以降で少しずつ私の言葉の意味を理解して貰えるよう努力して文を連ねます。